ハンセン病最初の女性医師服部ケサ

第46回福島民報出版文化賞受賞作
ハンセン病者への偏見と差別があり、女性が医師になるのが困難であった大正時代に、ハンセン病者に尽くした女性医師。遺された日記を中心とした原資料を丹念にあたり、現地への取材を重ねた著者の集大成。「女性史、ハンセン病を研究されている方々に読んでほしいんのです」(著者)。

服部ケサとは】
1884年、福島県岩瀬郡須賀川村(現在の須賀川市)生まれ。
1905年、東京女医学校に入学し、当時の医師制度が変更されるなか、女性医師への道が限られるなか、1914年に医師免許取得。女医の就職先が少ないなか、三井慈善病院に看護師として勤務する。この病院で、看護師の三上千代と出会い、キリスト者となる。
1917年、イギリス人女性宣教師コンウォール・リーと三上に乞われ、ハンセン病者が集落をつくっていた群馬県草津に向かい。翌年発足した聖バルナバ医院で医師として働く。
1924年、持病の心臓病が悪化する中、三上とともに聖バルナバ医院を退職。新居を「鈴蘭医院」とするも、同年11月22日、心臓麻痺のため亡くなった。
1932年、聖バルナバ医院、鈴蘭医院の近くに、国立療養所栗生楽泉園が設立される。